思ったこととか起こったこととか
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ようやく、TOP元絵収納しました…。
絵の、コメントが思いつかなくて、ね…。なんか上手くかけなくて。
いつも思っていることや言いたいことはたくさんあるんですが
絵の解説ってしたくないんですよね。一族語りはしたいんですけど。
前TOP絵とはうってかわってなんとも辛気くさい(笑)Topになってしまいました。
いや、でも本当ずっと描きたいと思ってた雰囲気の絵だし、
時期的に5月くらいがちょうど良い(ヒナゲシの見頃って初夏ですよね…?)し
去年は5月ごろ忙しくって描きそびれてしまい、
今年こそは!と思って長々と構想を練っていたので…。
妙なタイミングでのお披露目になってしまいましたが別に何があるわけでもないです。
でもよく考えたらこの時期に更新してしまうと
母の日もこのTopのままの可能性が高いわけですね。
よりによって!って感じの絵ではありますが。ま、いっか。
で、絵のコメントの話にもどりますが、一族語りもいつもしたいと思っているんですが
書きたいことがまとまらず(これを語るならあれもこれもーとなってしまって…)
なかなか上手いこといかないんですよね。
今回も途中まで黄川人と第一子との共通点みたいなことをつらつら書いてて
あまりにもとりとめがなくて、しかもながくなってしまって、
ていうか一族語りというより黄川人の言動への考察みたいになってしまって、
一回書いていた内容全部消して書き直しとかしてたら妙に時間かかってしまいました。
以下その途中まで書いていたものに加筆した文章。
あんまり気持ちのいい内容ではないので見る人を選ぶ話かも。
母親と息子の話。
*****
なんでだか寺山修司の世界観は俺屍を思い起こさせます。 「家出」「少年」「母殺し」という要素が、(私的)黄川人像を連想させるからかもしれません。
なんで黄川人に対して「母殺し」というイメージを持っているのかというと、黄川人は自分のうまれた都を焼き払い両親を殺した(お業さん死んでないけど)人間を許さないって言ってましたが、その後の言動を見聞きする限りは、殺された父母への追慕の情からくる都の人間への憎しみより、自分をこの世に置き去りにした母親への恨み言、自分の望む愛情をくれなかった母(この場合はお紺さんも含まれますが)への怨み事が多い気がするからです。そして黄川人が母の双子の姉であるお輪さんにした仕打ちは、母親への甘え、愛情への渇望からの行動と、自分を生んだ存在への恨みが捻れ絡まって生じた母への征服欲、母親としての尊厳への蹂躙に感じます。
母殺しは「人として」の生を奪うということだけに意味があるのではなく、「母として」の尊厳を奪うこと、が、「母殺し」のように思います。
肉親を殺した人間や神や世界を恨む、そんな状況に生きる己を嘆く、能力を怨む、その結果が自己を存在させた根拠としての「母」の拒否じゃなかろうか。
憎んでも、愛情を求めた対象も母だから、歪んであーゆーことになったんじゃないかと。
けだし、黄川人が本当にしたいことは、神や都の人間に対する報復ではなく、“母”殺しなのではなかろうか、と。
なんか、長らく、最終戦にて黄川人がお輪さんを「かあさん」と呼ぶのが謎で仕方なかったんですが(勘違いしているのかな?とかちょっと思ってたけど、違いますよね?一族へのあてつけ?にしてはなんか妙だし)そう考えると、私の中ではしっくりくるんです。あれは母への冒涜と渇望。
話はちょっと脇道にそれますが、黄川人はお輪さんが鬼をうんだって言ってるけど、私は実際にお輪さんがうんだ鬼って一握りだと思ってます。大多数の鬼は人の日常からうまれてる。それに黄川人の力が影響して人の生活に支障をきたすくらい増えてしまったってだけの話なんじゃないかな。実際あがら親王の凶暴化は黄川人が「力を貸してやった」って言ってるわけだし。鬼朱点から黄川人出てきて本気をだせるようになったら周囲の雑魚敵もパワーアップしたってことは、黄川人が鬼に力を与えてるってことなんじゃないかと。
あと「うむ」って表現もなんか気持ちが嫌なので、直接的な「うむ」ではなく黄川人に受けた仕打ちによる負の感情が鬼を「生む」だということにしてます。私は交神も直接的なアレコレ抜きで考えてる派なので…。ゲームであんまりそういうこと考えたくないんです…。あ、自分で考えるのが嫌ってだけでよそ様の一族さんと神様とかとのイチャコラは大好きですうぇっへー!
話戻します。
そして黄川人が真の朱点童子であるというの真相を一族全員が知ったとしたら、一番彼にシンパシーを感じるのは初代当主ではなく、初代の第一子(特に息子)のような気が、個人的にはしています。
自分のあずかり知らないところで、生きている間は鬼と戦い続けるという自分の運命が母親(初代当主)の手によって選択され生まれたわけだから、自分の運命を呪った場合、つまりは母親を呪うということになるんじゃないでしょうか。朱点から呪いを受けたのはあくまでも初代であり、朱点を倒すという悲願はあくまでも初代のものであり、初代の悲願を背負わされた(とばっちりをうけた)のが、初代以外の一族だなと思います。
あと、初代って父と母を殺された(お輪さん死んでないけど)ことを恨んでいるかしら?という疑問も私にはあります。源太パパが殺されたときは初代は京の都にいたわけで、目の前で殺されたわけではないし、そもそも鬼にあやされて笑っているような乳飲み子に、現状を把握できたとは思えないし。さらに天界に拾われてある程度大きくなるまで天界にいたとすれば、一般の親と子の間に親愛の情があるかなしかなんて感覚、育つのか?仇って感覚、存在する??とか思うんです。そのせいかうちの一族は源太パパやお輪さんへのつながり、感情が希薄。
対して黄川人は惨事に見舞われた際乳飲み子であった(皇子が乳飲み子を拾ったって言ってるし)にもかかわらず「憎い」という感情を持ってます。つまり身の回りに起こった惨事を把握する分別がすでについていたわけですよね。
だとしたら、父母を殺されたことを実感として感じていない初代より、二人きりで現世に放り出され共に手をとり戦った母を、目の前で呪いにより殺される第一子の方が、より朱点への憎しみを持つのではないでしょうか。
ながい。長すぎる。でもまだ深山の話までたどり着いてない(笑)
なんかもっと露骨に、下品に、攻撃的に、
言っていいならこの10分の1の文量でおさまるのに。
でも誤解されるのも嫌だし、俺屍の大事なところだろうから大事に話したい。
おいおい追記しにきます。多分。
もしかしたら読み直して嫌になって消しちゃうかもしれないけど。
なんで黄川人に対して「母殺し」というイメージを持っているのかというと、黄川人は自分のうまれた都を焼き払い両親を殺した(お業さん死んでないけど)人間を許さないって言ってましたが、その後の言動を見聞きする限りは、殺された父母への追慕の情からくる都の人間への憎しみより、自分をこの世に置き去りにした母親への恨み言、自分の望む愛情をくれなかった母(この場合はお紺さんも含まれますが)への怨み事が多い気がするからです。そして黄川人が母の双子の姉であるお輪さんにした仕打ちは、母親への甘え、愛情への渇望からの行動と、自分を生んだ存在への恨みが捻れ絡まって生じた母への征服欲、母親としての尊厳への蹂躙に感じます。
母殺しは「人として」の生を奪うということだけに意味があるのではなく、「母として」の尊厳を奪うこと、が、「母殺し」のように思います。
肉親を殺した人間や神や世界を恨む、そんな状況に生きる己を嘆く、能力を怨む、その結果が自己を存在させた根拠としての「母」の拒否じゃなかろうか。
憎んでも、愛情を求めた対象も母だから、歪んであーゆーことになったんじゃないかと。
けだし、黄川人が本当にしたいことは、神や都の人間に対する報復ではなく、“母”殺しなのではなかろうか、と。
なんか、長らく、最終戦にて黄川人がお輪さんを「かあさん」と呼ぶのが謎で仕方なかったんですが(勘違いしているのかな?とかちょっと思ってたけど、違いますよね?一族へのあてつけ?にしてはなんか妙だし)そう考えると、私の中ではしっくりくるんです。あれは母への冒涜と渇望。
話はちょっと脇道にそれますが、黄川人はお輪さんが鬼をうんだって言ってるけど、私は実際にお輪さんがうんだ鬼って一握りだと思ってます。大多数の鬼は人の日常からうまれてる。それに黄川人の力が影響して人の生活に支障をきたすくらい増えてしまったってだけの話なんじゃないかな。実際あがら親王の凶暴化は黄川人が「力を貸してやった」って言ってるわけだし。鬼朱点から黄川人出てきて本気をだせるようになったら周囲の雑魚敵もパワーアップしたってことは、黄川人が鬼に力を与えてるってことなんじゃないかと。
あと「うむ」って表現もなんか気持ちが嫌なので、直接的な「うむ」ではなく黄川人に受けた仕打ちによる負の感情が鬼を「生む」だということにしてます。私は交神も直接的なアレコレ抜きで考えてる派なので…。ゲームであんまりそういうこと考えたくないんです…。あ、自分で考えるのが嫌ってだけでよそ様の一族さんと神様とかとのイチャコラは大好きですうぇっへー!
話戻します。
そして黄川人が真の朱点童子であるというの真相を一族全員が知ったとしたら、一番彼にシンパシーを感じるのは初代当主ではなく、初代の第一子(特に息子)のような気が、個人的にはしています。
自分のあずかり知らないところで、生きている間は鬼と戦い続けるという自分の運命が母親(初代当主)の手によって選択され生まれたわけだから、自分の運命を呪った場合、つまりは母親を呪うということになるんじゃないでしょうか。朱点から呪いを受けたのはあくまでも初代であり、朱点を倒すという悲願はあくまでも初代のものであり、初代の悲願を背負わされた(とばっちりをうけた)のが、初代以外の一族だなと思います。
あと、初代って父と母を殺された(お輪さん死んでないけど)ことを恨んでいるかしら?という疑問も私にはあります。源太パパが殺されたときは初代は京の都にいたわけで、目の前で殺されたわけではないし、そもそも鬼にあやされて笑っているような乳飲み子に、現状を把握できたとは思えないし。さらに天界に拾われてある程度大きくなるまで天界にいたとすれば、一般の親と子の間に親愛の情があるかなしかなんて感覚、育つのか?仇って感覚、存在する??とか思うんです。そのせいかうちの一族は源太パパやお輪さんへのつながり、感情が希薄。
対して黄川人は惨事に見舞われた際乳飲み子であった(皇子が乳飲み子を拾ったって言ってるし)にもかかわらず「憎い」という感情を持ってます。つまり身の回りに起こった惨事を把握する分別がすでについていたわけですよね。
だとしたら、父母を殺されたことを実感として感じていない初代より、二人きりで現世に放り出され共に手をとり戦った母を、目の前で呪いにより殺される第一子の方が、より朱点への憎しみを持つのではないでしょうか。
ながい。長すぎる。でもまだ深山の話までたどり着いてない(笑)
なんかもっと露骨に、下品に、攻撃的に、
言っていいならこの10分の1の文量でおさまるのに。
でも誤解されるのも嫌だし、俺屍の大事なところだろうから大事に話したい。
おいおい追記しにきます。多分。
もしかしたら読み直して嫌になって消しちゃうかもしれないけど。
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